神田先生と学ぶ日本の法律事情
④相続は事前のイメトレが肝心~外国の遺族年金問題はおおごとか?~
今回のテーマは相続準備には事前のイメージトレーニングが重要という話です。披露宴や祝賀会などを主催する際に、事前にかなりの準備をします。当日の2時間はあっという間です。あたかも列車がホームを去るごとく時間があっという間に過ぎ去ります。もし当日に雑務を残してしまったら、たとえそれが数分で済む雑務だったとしても、てんてこ舞いです。実は、相続の対応も同様です。死亡後10カ月間にすべてを処理をしようと思っていても、上記のパーティーのごとくあっという間に時間が過ぎ去ります。すべてを事前にシュミレーションして、万全を期しておく必要があります。
さて、2023年1月12日付け朝日新聞の紙上に「年200万円の海外遺族年金に、相続税700万円 受給者側『争う』」という見出しのニュースが現れ、世を騒がせました。外国の公的遺族年金を日本で受け取る場合に、海外の遺族年金は平均余命まで受給する前提で相続税を計算するため、日本の公的遺族年金との不均衡を指摘する新聞記事です。この問題点が在外邦人の方々に広まり、現在に致るまで多くの方々が不安を感じ、さらには日本への定住帰国を躊躇される方も出ております。
該当者はこの問題も事前にイメージトレーニングしておくことが重要です。果たしてこれは大きな問題なのでしょうか。
この問題は、平成22年に平均余命ルールが登場する以前には大したものではありませんでした。
昔は大富豪の相続対策に高額の死亡保険金という手法が多用されていました。例えば1億円の死亡保険金を一括で受け取る場合それなりの相続税が発生します。ところが、この1億円の死亡保険金を40年間の分割払いで受取る形式の合意をしておきますと、この死亡保険金の評価がぐんと下がります。相続税法第24条に定める『定期金に関する権利の評価』に従えば、残存期間35年超は総額の20%評価となるため、実質1億円のものが2000万円まで下がります(因みに、死亡保険金は法定相続人1人に付き500万円の非課税枠がありますから、法定相続人が4人いれば、この死亡保険金に対しては相続税が全くかからないことになるのです)。年500万円×40年の年金受取りの場合は総額2億円ですが、20%の4000万円で評価されるため1億6000万円ほど遺産を圧縮したことになります。しかし、この手法が全国に行き渡ると、税務署は潰しにかかります。タワーマンション節税しかり、年金保険節税しかり、あらかさまな法の網をくぐる節税対策はその都度法改正をして潰されていきます。相続税の税務調査の時効完成後に一括取得するケースが全国で多発したため、平成22年度の税制改正でこの裏技は終焉を迎えることになりました。
それにより、いわゆる平均余命ルールが登場しました。すなわち、終身定期金は、
①解約返戻金、②一時金、③予定利率と平均余命を基に算出した年金原価
のいずれかで計算するところ、ソーシャル・セキュリティ等の外国の遺族年金には解約返戻金や一時金の制度はありませんので、上記③の平均余命を基にした年金原価による評価を行うことになりました。
なお、平均余命は、厚生労働省が定める完全生命表より計算されます。令和5年の76歳の女性の平均余命は15.74年、85歳は8.33歳です。病弱でも健康でも一律に扱います。平均余命まで生きた場合の総額をもとに計算したものを最初に納める仕組みのため、まだ実際に受け取っていない年金に対しても相続税の対象となってしまうのです。外国の遺族年金の受取人にとっては、ある意味、とんだとばっちりです。
さらに加えて、日本の国民年金や厚生年金との扱いに差を設けられている点にも多くの不満が集まります。日本の年金であれば、国民年金法、厚生年金保険法などで相続税を課さないという規定があります。しかし、外国の法令に基づく遺族年金は非課税財産とする定めがなく相続税の課税対象となってしまいます。外国人配偶者が死亡したことにより支給される遺族年金が平均余命で評価されることから莫大な相続税が配偶者に発生する。日本人夫婦では起こらないことが起きてしまう。この点への差別感は問題でしょう。「日本の遺族年金には相続税がかからないため、女性らは『不平等だ』と訴えている」と、先の新聞記事の論調もここにあります。
確かに、不平等な点は否めません。しかし、果たしてこれは大きな問題なのでしょうか。
実は、日本の相続税法が定める配偶者控除の金額は意外に高いため、これはそう大きな問題ではないのです。法改正しようという動きが鈍いのもこれが大きな一因でもあります。配偶者の税額軽減(配偶者控除)という相続税の減免措置があり、「配偶者が遺産分割や遺贈により実際に取得した正味の遺産額が1億6000万円までか、配偶者の法定相続分相当額までであれば、配偶者に相続税はかかりません」(出典「財産を相続したとき 国税局」)。このように配偶者には、「1億6000万円か法定相続分のいずれか多い金額までは相続税がかからない」という特典がありますから、殆どのケースで心配する必要はありません。(ただし、注意しなければならないのは、この配偶者控除の特例を受けるためには、死亡から10ヶ月以内に相続税の申告書の提出が必要です。うっかりしてしまうと致命傷ですので十分に注意してください。)
イ
相続人が配偶者しかいないケースでは、まったく心配いりません。たとえ10億円相続しても相続税は0円です。外国の遺族年金が1億であろうが2億であろうが相続税はかかりません。
ロ
配偶者と子が相続人で、配偶者が10億円の遺産の半分にあたる5億円を相続するケースでも、まったく心配いりません。相続税は0円です。外国の遺族年金が1億であろうが2億であろうがこの5億円の中に解消させれば相続税はかかりません。
ハ
配偶者と子あるいは兄弟が相続人のケースで、配偶者が自分の法定相続分を超えて相続するケースでは相続税が発生します。しかし、相続には基礎控除の枠があり(配偶者と子1人であれば4200万円)、かつ、相続税率の多くは10%や20%ですから、記事に書かれた「700万円」を納める場合は既に7000万円近い遺産(※10ヶ月以内に1億6000万円の配偶者控除や宅地評価を80%削減する小規模宅地等特例を申請していたらもっと高額になります)をこの方は手にしているのです。
世の中の新聞雑誌は購読してもらいたいがために、あえてインパクトの大きい記事にして読み手の興味を惹くように書きがちです。その他の諸事情をあえて伏せて報道する傾向にあります。記事に惑わされることなく、冷静な判断の下、慌てず、無駄な心配をしないことが一番です。決して定住帰国を諦めるという短絡的な判断はされないでください。相続準備には事前のイメージトレーニングが重要です。事前にその道のプロに尋ねてシュミレーションをしておくことがベストです。果たしていくらの相続税を納めなければならないのか、不動産や預貯金、年金についてどうしておくのがベストなのか。相続手続が開始したら、何をどの順番で行うべきか。相続でビックリや失敗をなくすためには、相続の開始後ではなく、事前に専門家の知恵を借りて十分にイメージトレーニングをしておけば、いざ相続が開始したら粛々と最適な動きをすることができます。予想される事態毎に事前のイメトレを行い、自分とご家族を守る生き方をされてください。
神田英明(かんだ・ひであき)先生
明治大学専任講師、東京弁護士会弁護士・通知税理士。ミュンヘンに 3 年ほど在住。コロナ禍を機に在外邦人のための全世界規模ズーム講演を多数開催。各専門家の紹介や個人的な相談にも気軽に応じてくださいます。
相談メールアドレス: 089kanda@gmail.com
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本記事は「法律なんでも1000」の記事(配信予定)が編集され、ニュースレター2025年4月号に掲載されたものです。