神田先生と学ぶ日本の法律事情

⑤早合点は三億の損

神田英明(かんだ・ひであき)先生

 人生を充実させるにはコツがあります。より良い生き方や生き甲斐などのプラスの要素を追求することはもちろん大切ですが、他方で、身体や財産の危機など、いわばマイナスを出来る限り予防する手立てを講じることは、実にそれに比肩する重要事項なのです。今回はそんなお話をしたいと思います。X男(80歳)とY女(78歳)は、仲の良い内縁カップルです。2人の間に子は無く、2人で幸せに過ごしていました。ところが、あり日X男は不運にも車に撥ねられ、5億円の豪邸と1億円の貯金を残して、急逝してしまいました。

 内縁カップルにはお互い相続権はありませんから、遺言を書かずに亡くなると、X男の遺産は全て法定相続人、例えば、妹Zに相続されてしまいます。現に葬儀中に妹Zから「私が唯一の法定相続人だから遺産は全部私のモノね。この家も私のモノだから3ヶ月以内に出てってちょうだいね!」と言われてしまいました。Y女さんは、最愛のパートナーに先立たれたショックに加えて、これからの老後生活のことや、二人の思い出の家を手放さなくてはならないかなどの心配で、気が気でありませんでした。

 しかし、そこはY女さん思いのX男です。きちんとやるべきことはやってくれていました。そうです。亡くなる数年前に「全財産を内縁の妻Yに遺贈する」という内容の公正証書遺言を作成してくれていたのです。その存在を遺言執行者の弁護士から連絡があって知りました。配偶者や子に認められる遺留分は兄弟姉妹には認められておりませんので、全遺産が無事にY女に渡ることになります。Y女は家を手放さなくても良いことが分かって、ほっと胸を撫で下ろしました。めでたしめでたしです。

おわり

 ちょっと待ってください!本当に「めでたしめでたし」なのでしょうか?

 

 実は少しもめでたしめでたしではなかったのです。X男の願いをY女さんに叶えることができませんでした。X男の想いは「Y女に経済的な不安なく、この家で生涯を全うさせたい」でした。しかし、高額の相続税の発生という予期せぬ事態の発生により、X男の想いはもろくも叶えられなかったのです。その理由はこうです。

 

 まず第一に、日本の民法の世界において、法律婚と事実婚(内縁関係)との間には、以下の様にその取り扱いに著しい差異があります。

(1) 相続権

 法律上の配偶者には相続権が認められますが、内縁関係の配偶者には相続権は認められま せん。(※本件のX男がしたように遺言の作成が不可欠です。)

(2)配偶者居住権

 法律上の配偶者はいわゆる「配偶者居住権」(2020年の民法改正にて新設) の保護の対象になりますが、内縁関係の配偶者はこの対象外です。

 第二に、相続税の領域においても、その取り扱いに著しい差異があります。法律上の配偶者は多くの点で手厚い保護を受けられるようになっています。

(3)相続税の配偶者控除

 法律上の配偶者は相続税の配偶者控除という特権を受けられます。配偶者の法定相続分(本件のY女が法律婚なら3/4)または1億6,000万円のどちらか多い金額まで配偶者控除が認められます。遺産総額がたとえ100億円でも配偶者が具体的に取得する財産が法定相続分に収まっていれば、配偶者の相続税はゼロ円です。ただし、この特権も、法律上の配偶者に限定されます。なお、婚姻期間の長短(20年でも1日でも)も問いません。

 どうしてこれほどまで配偶者の相続税を優遇しているのでしょうか。それは(イ)配偶者が亡くなった被相続人の財産形成に大なり小なり貢献してきたと評価できること、(ロ)老夫婦は短期間のうちに相続税を連続して納めるケースも多いところ、それでは実質的に2倍の相続税率を要求するのと同じになり理不尽であること(裕福層の財産承継を著しく困難にすること)、(ハ)残された配偶者の老後の生活保障のためであること、という三点が大きな理由となります。しかし、この特別な配慮も法律上の配偶者に限定され、残念ながら内縁関係の配偶者はこの保護の対象外です。

(4)小規模宅地等の特例

 法律上の配偶者は相続税評価における小規模宅地等の特例を受けられます。

 小規模宅地等の特例とは、親族が一定の要件の下で居住用宅地を遺言または相続で取得した際に、被相続人の居住用宅地の相続税評価額を、限度面積330m2まで80%減額できる制度をいいます(凡そ100坪の宅地までもが小規模宅地とは面白いですね)。例えば、自宅敷地の相続税評価額が5億円であれば、4億円を減額した1億円と評価して良いことになりますので、極めて効率的に相続税の低額化を図ることができます。

 今まで同居していた親族等が、相続を機に退去を余儀なくされるという不幸を回避させてあげようという税法上の特別な配慮です。ただこの特別な配慮も法律上の配偶者や親族に限定されるために、残念ながら内縁関係の配偶者はこの特典を受けることができません。

(5)相続税の基礎控除

 相続税の基礎控除額とは遺産総額から差し引くことができる、いわば非課税枠ともいうべき金額で、「3,000万円+600万円×法定相続人の数」で計算します。法律上の配偶者は当然一人として数えられます。これに対して、内縁関係の配偶者は法定相続人に該当しませんので、基礎控除額が600万円分少なくなります。

 さらに加えて、相続税は法定相続人が法定相続分で相続したことを前提に算出する仕組みですので、法定相続人の人数が1人増えることで相続税の大幅な低減が実現し易くなります。この恩恵も受けられません。

(6)生命保険金等の非課税特例

 法律上の配偶者は、生命保険金等の非課税限度額の特例を受けられます。これに対し、内縁関係の配偶者は相続人でないため、生命保険の非課税の適用はありません。

(7)相続税の2割加算

 法律上の配偶者あるいは一親等の血族には、相続税の2割加算(1.2倍)は適用されません。これに対し、孫や兄弟姉妹、さらには内縁関係の配偶者が相続した場合は、相続税が2割加算されます。

 結局、Y女さんが法律上の配偶者であれば、小規模宅地等の特例や相続税の配偶者控除により、相続税はゼロ円で済んでいました。しかし、入籍しなかったばっかりに、これらの特例が一切受けられず、3億円あまりの相続税を払う羽目になりました。Y女さんに到底そのようなお金の余裕はありませんから、豪邸を売らなければなりません。しかも、10ヶ月以内に相続税を納入する義務があるため売り急ぐ必要があり時価よりも相当低い不本意な金額で売却して対応することを余儀なくされました。豊富な資金と豪邸生活の見通しが泡と消え、不安な老後生活だけが残りました。

 このようにX男のY女への熱い想いは、高額の相続税の発生という予期せぬ事態の発生により、Y女の為にはならなかったのです。

 もちろん婚姻届を出さないことについては2人の間で何らかの意思があったのでしょう。それはそれでやむを得ない話です。しかし、それが天と地の差になることを十分に知った上でも2人がその意思を貫いたであろうかは分かりません。

 何事も、「めでたしめでたし」となるためには早合点は禁物です。自分では気付き得ない制度の盲点に嵌まって思わぬ不利益を被ることがあります。慎重にその道のプロに事前に確認してください。

  躓きの石を可及的に取り払うというマイナスの除去と、生き甲斐を積極的に追求するというプラスの加算に対する両面の配慮はとても重要です。どちらが欠けても、人生は上手くは進みません。プラスの追求という楽しい方だけでなく、マイナスの除去という地味だけれど重要な方にも注力することで生活をより一層堅固なものとし、思い通りの豊かな人生をお送りください。


神田英明(かんだ・ひであき)先生

明治大学専任講師、東京弁護士会弁護士・通知税理士。ミュンヘンに 3 年ほど在住。コロナ禍を機に在外邦人のための全世界規模ズーム講演を多数開催。各専門家の紹介や個人的な相談にも気軽に応じてくださいます。

相談メールアドレス: 089kanda@gmail.com
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神田英明(かんだ・ひであき)先生

※本記事は「法律なんでも1000」No027 (2022/10/23配信)をDeJak便り用に加筆修正したものです。